First contact



最近は、ああとかおう、とかで済ませがちである。
それは何も自分だけのことではない。同じ年頃の、それも男ならなおさらだ。武藤は差し出された大きな掌を半ば呆然と見つめた。



サクラサクとか、新しい制服とか、そういった新鮮さは全く持たずに武藤はこの日を迎えた。 4月3日、全国的に晴天。そして全国的に入学式である今日は、彼にとっては新たな戦いの日のスタートでもあったからだ。 。
常勝・海南大学付属高校バスケット部。バスケをする為に、この高校へ来た。 半数以上が中学からの持ち上がりという、典型的な一貫教育のこの高校に、わざわざ受験してまで 入学したのは、偏に最高の環境で思い切りバスケをやってみたい、 自分の力を試してみたいと思ったからだ。逆に言えば、通常の学校生活に何ら展望を持たずに此処まで来た。 入学式よりも、今日から始まる部活の初日の方が、武藤にとっては目下集中すべき重要問題であった。

長ったらしい入学式が終わりを向かえ、馴れない校歌とやらをごにょごにょと申し訳程度に斉唱し体育館を出れば晴れてこの学校の 生徒としての生活が始まる。塩梅良く吹いてきた風にあおられた桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちる中、指定された掲示板で自分の名前を探した。
1−A、と書かれたその紙面にいち早くそれを発見し教室へ向かう。教室に入った途端、クラスメイトとなるだろうはずの生徒等の目が 一瞬で此方に向いたのが解る。なんとも形容しがたいその視線は、此方が見やれば逸れて行き、視線を外せば集中する。

(何だっつーんだよ・・・)

そう胸中で舌打ちしながら黒板で席順を確認する。
安藤、加藤、鈴木に、高橋。あいうえお順に並ぶそれを目で追っていくと、己の名に遭遇した。窓から3列目の、一番後ろだ。開け放した窓の向こうの 青い空からやんわりと吹いてくる桜色の風が、不規則に真っ白なカーテンを揺らした。
なんとなく集中する興味津々な視線を背中に、目指す席に腰を下ろす。自分で思う以上に緊張していたらしい。席に着いた途端漏れた溜息に苦笑した。

(びびんな。カッコわりー・・・。)

そう独り言ちながら視線を上げれば、嫌でも前の席の人間の背中が目に飛び込んできた。
がっしりとした背中。制服越しに十分わかる、発達した筋肉。恐らく、自分より少し大きいくらいの身長だろうか。それにしてもガタイのイイ奴が居るなあ・・・。

(柔道部・・・いや、この感じはラグビー部かな・・・。)

そんなことを肘を突きながら思った時、見つめた背中がくるりと反転した。
そして、

「牧だ。よろしく。」

栗色の髪をしたその男は、そうからりと笑ってデカイ掌を差し出したのだ。

人間は宇宙へ飛ぶ。ネットでは見知らぬ誰かと会話する。
そんな世の中に、こんな時代錯誤な挨拶をされるとは思っていなかった武藤はぎょっとしてその浅黒い掌と、目鼻立ちの異様にはっきりした顔を交互に見比べた。

「よろしく。」

再度そう言われて、慌てて武藤はその手を握り返した。ああ、とかおうとか、なんとなく返事をして、なんとなく自分の名前を告げた、そんな気がする。なんともくすぐったいような、そして同時に 心の中の緊張が奇妙に薄れた瞬間だった。不思議な奴がいるなあ、とそう思った。理由も無く、面白いことが起こりそうな、そんな予感がした。
武藤正の高校生活は、こうして始まったのだ。






カウンターの向こうの板前が威勢よくらっしゃい、というのを聞きつつ、手持ち無沙汰にジョッキをあおる。
あれから何回目の春になるだろうか。たまたま前後の席になったクラスメイトの不思議な男が、唯一無二のチームメートとなり、ユニフォームも制服も合わない歳になった今でも変わらず付き合いがある。 まあ、こんなことになるとは相手のほうも思ってはいなかっただろう。大体、そんな遠い将来のことなんて、あの日は何一つ考えちゃいなかった。その日の授業、その日の練習。未来のことといえば週末の試合や、その先にあるトーナメントのことぐらいしか頭が回らなかった。単純に、体が大きいだけの子供だったのだ。
そんなことを考えながらネクタイを緩めた時、がらりと音がして暖簾を潜る影を見つける。若い見習いの板前が、同じように明るい声でらっしゃい、と告げると、その男は黒目がちの瞳を一瞬見開いて、そして小さく頷いて軽く片手を上げた。

(・・・変わんねーなぁ・・・)

変わらないのではなく、変われないのかもしれない。きっとそうだ。
苦笑交じりにその姿を眺めていたら、此方に気付いて真っ直ぐに歩いてくる。
武藤は腰掛けた椅子から、向かえるように立ち上がった。これも、毎度の儀式だ。

「おう。」
「ああ。」

最近は、そんな挨拶すら他人行儀で照れくさい。同年代、男同士ならばなおさらだ。
その思いは相手のほうも同じらしい。一瞬ふわりと視線を泳がせた後、それをごまかすように微かに笑う。
重厚なジェラルミンの機材ケースを楽々と肩に抱えた依然ガタイの良いその男は、屈託の無さを残したその笑顔で当たり前のように大きな掌を差し出した。
ずいぶん昔のあの日の風が、今日、また此処にある。巡った季節を飛び越えて、二人の大人は15歳の春に戻るのだ。

「久しぶりだな、武藤。」
「相変わらず黒いな、お前。」
「ああ、まあこれは職業病みたいなもんだ。」
「そうか?昔と変わんねーぞ?」

がっしりと、必要以上に強くその掌を握り返しながら、空いた手で肩を叩き二人は笑う。
制服もユニフォームも無くなってしまった。あの日の春は、あの空の下だけ。だけど、

まだまだ面白いことは起こっていきそうだと、そう武藤は思った。






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*Postscript
三年生's の出会いを書いてみました。
牧と武藤はものすごく男っぽい付き合いならいいな、と。卒業してから頻繁には会わないけど、要所要所でちゃんとコンタクトをとっている感じ。
武藤は無難に営業職やってそう。牧はもうちょっと自由業なイメージ。一番着実に人生歩んで行きそうな牧が一番ぶっとんだ人生送っていればいいなあと妄想してます。