Beyond
アルバム委員になった。というか、なってしまった。
暮れ往く教室の片隅で、宮益は小さなため息を付いた。
卒業アルバムの製作にあたり、各クラスから男女一名ずつが製作委員として選ばれる。
海南大付属高校はもちろん一貫教育だから、クラスの半数がそのまま大学へエスカレーター方式で進学する。残りの半数の進路は多岐に渡る。国立大学を受験する者、他の私立大学からの推薦を選択する者。
専門的な分野に進む為、専門学校への進学を希望する者。そして留学。宮益自身が、この範疇に入る。勿論、バスケでの留学では無い。医師を志す宮益は、ドイツへの留学を決めた。スポーツ医学という、まだまだ日本では認知度の低い分野で、医師として一生スポーツに、ひいてはバスケットに
かかわっていたいとそう思ったからだ。プレーヤーとしての自分のキャリアに夢を見れるほど、宮益は楽観的ではなかった。バスケ自体は続けていくだろうが、それで口を糊して生きていくというのは、現実からは程遠い。
それに、見たかった夢は、もう十分に見た。
現実として、海南のユニフォームを着て、3年間戦った同期の連中と同じコートに立てたのだから。
あの夏の全国大会が終わったとき、宮益は引退した。
冬までやろう、日本一への最後のチャンスに賭けよう、とチームメートはそう言って引止めた。でも、宮益は首を立てに振らなかった。
『こうやって、コートにも立てたし、自分のベストを出せたと思う。この気持ちのまま、高校バスケを終わりにしたいんだ。』
勝てば、嬉しい。でも、僕の一番やりたかったことは、日本一になることじゃない。皆と、同じコートに立って、バスケをすることだったんだ。
何度目かの、同期との話し合い。
宮益がそう言った時、それまでの強烈な引きとめが嘘のように、3人のチームメイトは静かにそうか、と納得した。
キャプテンを務める牧は、気持ちはわかる気がする、と言った。
武藤は、俺は諦めが悪ぃから、お前みたいに格好良く幕引けねえよ、と呟いた。
高砂は、黙ったままだった。何時もどおり、それは彼の同意を意味していた。
以来、宮益はバスケット部の練習にも、試合にも参加していない。
本格的に、留学への準備に入った。英語圏への留学ではないから、領事館から紹介された語学学校へ週の3日は通うようになった。
勿論、チームメイトと縁が切れたわけではない。休み時間などは昔と変わらず一緒だ。それでも、部活に参加しないことで共に過ごす時間は激減した。
「寒いなあ…。」
かじかむ手で、目の前のゲラをめくる。
クラスごとの集合写真の後、行事ごとの写真が紹介されている。入学式、体育祭、文化祭に修学旅行。
スナップショットも沢山ある。珍しく雪に見舞われ、生徒がこぞってグランドで雪合戦をしたのは、1年の冬のことだ。雪だるまを作ったのは水泳部だったはず。証拠に、この雪だるまは競泳用のゴーグルをつけている。
学年マラソン大会の様子もある。2年の時、優勝候補のトライアスロン部の渡辺が、途中でたまたま産気づいた主婦に遭遇し、機転を利かせて病院へ連れていくというアクシデントがあった。結果、彼は下馬評No.1で本戦は最下位というレコードを残し、武藤は牧にA定食を奢ったのだ(あいつら、賭けてたんだよな)。
後に消防局から感謝状が届き、渡辺は文字通り「記録ではなく、記憶に残るランナー」となった。
小さな写真の羅列でも、それぞれが沢山の思い出と共によみがえる。卒業アルバムとは記憶の時限装置のようなものだ。卒業してない今からそうなのだから、数年立ってからこのアルバムを見るとき、自分は何を思うだろうか。
アルバムの製作委員になったのは偶然だった。語学学校に通う予定はあるものの、試験があるわけでないし、いきなり部活がなくなってしまって、少し張りが欲しかった。だから、進んでこの役を受け入れた。
レイアウトを決め、写真の選択をし、教師や生徒のコメントをもらう。秋以降は、それはそれで結構楽しい作業だった。
それも、もう終わりだ。あと、一箇所を除いて、ほぼ完成。
その最後の空白を埋める為、宮益は冬休み中の学校の、静かな校舎で待っている。遅くても、今日連絡があるはずなのだ。
(せめて図書室で待つんだったかなあ…)
でも、受験勉強に勤しむ生徒の静寂の中でいきなり電話が鳴っては駄目だろう。そう思って、教室を選んだのだ。暖房の入ってない其処に、この時期やってくる物好きはいないから。
コートのポケットの中の携帯を握り締める。
海南大付属高校バスケット部のページ。練習風景、試合風景、移動中のバスの中の何気ない写真。全てについて宮益は説明できる。
これは、1年の3学期にやった遠征試合の写真。このとき、武藤がバスに酔って…とか、2年の夏合宿の試合で、僕は高砂にぶっ飛ばされて眼鏡が歪んだとか…。
応援席の一番右に座ってるショートボブの女子は、武藤のことが好きだったとか、牧がでかい絆創膏を額に貼ってるのは、この日の朝、サーフィンしててワイプアウトに失敗したからだとか。
(全くきりがないよ。)
大体、これだけの思いを、どうやって数ページの中に収めれば良いのだろう。どだい、無理な話だとそう思う。
と、その時。宮益が握り締めた携帯が震えた。
慌てて取り出してみると、ディスプレイには常勝チームの頼れるキャプテンの名前。
「もしもし?」
『宮か?』
君が電話してきたんだから、僕がでて当然でしょう?
そう言いたいところだが、それが、彼の彼たる所以なのだ。頬が緩んでいく。
「で?」
『ああ、』
牧の声音は何時もどおり。そう、マイペースすぎるほど、マイペースな、でも最強のキャプテン。
『待たせたな。』
NO.1、だ。
牧がそう言った瞬間、電話越しに後ろで声が上がるのが解る。
『宮さーん!俺ら、やったっすよ!!』
『うるさいよ、ノブ、静かに。』
『宮、俺らやっぱ無敵だわ。』
清田と神が織り成す喧騒の向こうに聞こえる、武藤の声も喜びに満ちている。
宮益は、胸の奥がぐっと詰まる思いがした。目頭が自分の意思とは離れたところでどんどん熱くなる。
『ということで、編集長?』
「…何だよ。」
『バスケ部のアルバム、最後の所はプランAでよろしく。』
「プランBなんか、用意してないよ。信じてたからね。」
『それから、祝勝会は参加するように。これ、主将命令。』
少し、返事につまった。
引退した身だから、とそう言おうとしたのだが、言葉にならない。
電話の先で、牧が微笑むような感じがした。
『お前は、俺達のメンバーだろ。これからだって、そうだ。』
「うん。」
『だから、来いよ。絶対、来いよな?』
「…頼まれなくても行くよ。」
そうか、と牧は今度こそからりと笑って電話を切った。切る瞬間まで、電話の向こうで清田が宮さん宮さん、と叫んでいるのが聞こえておかしかった。
携帯を置き、立ち上がった拍子に倒れてしまった椅子を起こして腰掛ける。
茶封筒の中にあった、写真を取り出す。宮益の引退にあわせて最後に取った、バスケ部の集合写真。おそろいのユニフォームで、皆笑っている。真面目な顔はやめよう、と一番真面目な顔をした牧がそう言って撮った写真だ。
それを、空白に貼り付け、そして、文字の指定を入れた。
『海南大付属高校バスケ部・冬季選抜大会優勝』
ほう、と息をつく。
「できた、と。」
自分達の3年間が、完成した。
宮益は、静かに席を立ち、職員室へ向かう。この原稿を納めれば、高校生活が終わる。3学期は授業もほとんど無い。学校にも、来ないだろう。
そして自分は本格的に次の人生へのステップを踏み出すことになるのだ。
でも、卒業はない。そう思う。
こうやって出会った仲間。バスケット。その全てはずっと続いていくのだから。
「…よし!」
何となく気合を入れて、宮益は胸を張る。
次の戦いは、もう始まっている。独りだけど、不安はない。ない、と自分に言い聞かせる。僕の後ろには永遠のチームがあるんだから、と。
だから今度だって、十分楽しめるはずなのだ。
「常勝、だからね。」
最後に笑うのは、僕達だ。
冬の張り詰めた寒さの中で、新しい希望の火が灯った。
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*Postscript
海南は、日本一になれたかな?
私としては、そうであればいいな、と。でも、宮益はそこにいないような気がしたんです。彼は、すっぱり引退しそうな気がして。
でも、ずーっとチームメイトな彼らでいて欲しいと思います。永遠にチームメイトを卒業しない男達。少年のままの心をどこかで持っていて欲しいのです。