Positive Problem



「あれ?マッキー、痩せた?」

夏休みの半ばに設けられた登校日。
久々に顔をあわせたクラスメートの一人がそう言った。言われた本人は、年齢以上に(そして必要以上に)大人びた顔に、不釣合いを通り越していっそ滑稽と評していいかのような表情を浮かべる。解りやすく言えば、"きょとん"とした表情で小首を傾げた。

「そうか?」

その質問は、コメントを発した隣席の女子ではなく、後ろに座ったチームメートの武藤へ向けられた。 武藤は武藤で、意外なことを聞いたといった表情で牧を見つめる。そして、歯切れ悪く呟いた。

「ぶっちゃけ、お前と痩せるがリンクしねーんだよな。俺っちの脳内じゃ。」
「あ、そりゃ武藤の脳に問題あるんだわ。」

そうさらりと言ってのけたのは、たまたま通りかかった長身のクラスメート。スカートの下から覗く素敵に長い足を男前に組んで空いた席に座ると、牧に「決勝、見たよ。」と言って軽く頷いた。それは、競技者特有の言葉にしない「よくやった」であり、「残念だった」の意味もあった。

「…おめーも、その口が災いするタイプだよな。ケイ。」

ケイ、と呼ばれたその女子は棒高跳びでインハイを2連覇したツワモノだ。が、武藤の言葉に怒るでなく、ショートカットの下に覗く大きな瞳に猫を思わせる笑みを湛えてまじまじと牧を見つめた。

「武藤、毎日見てるから気づいてないだけだって。うん、マッキー、痩せたよ。この辺、特に。ね、カズ。」

言いつつ、己の頬を撫でてみせる。初めに牧に痩せたと言ったカズは眼鏡の向こうの瞳に若干の心配と大半の好奇心を浮かべつつ大きく頷いた。

「練習、ハード?食べてる?」

競技をする者、特にある一定以上のレベルでスポーツに勤しむ者にとって、体重の管理は重要課題といっていい。が、主に彼らが直面する問題は体重の増加ではなく、過剰な体重の減少だ。
特に夏はその傾向が強い。暑さの為、食欲が落ちる。そして、ハードな練習の後は、食事よりも水分を取りたいというのが正直なところだ。またそれが、食欲を奪う。結果、体重を維持できればOK、減れば無理にでも食べなくてはならなくなるという事態に陥るのだ。

「お前もちょっと痩せたろ、カズ。」
「そうなんだよ〜、結構食べてるつもりなんだけど…。消費カロリーに摂取カロリーが追いつかない。」

カズは、オリンピックの強化選手に選ばれているシンクロの選手だ。
水の中に居る競技は、運動しなくても痩せる。プールの中に居るだけで体温を維持する為に、カロリーは消化し続ける。故に、彼女は日に4度、稀に5度の食事をしなくてはならなくなるのだ。

「もう、時々苦痛だよ。食べながら居眠りしちゃう。」
「わかるわ、それ。あたしも食べるより、寝たい。」

陸上競技の選手もしかりだ。とにかくランニングをする、筋トレをする。筋肉量が増えれば当然、息をするだけで一日の必要カロリーは通常の人間より多くなるのだ。
女同士、そうだよねえと頷きあっているのを横目で眺めていた武藤が、意地悪な笑みを浮かべながら言った。

「おめーは、一部分だけ痩せたよな。」
「あんたは脳が痩せたんだよね。」

ケイのある部位一点を見つめつつ言った武藤への、見事としか言いようの無いケイの切り替えしに、それまで黙って聞いていた牧が噴出した。つられる様に、武藤を除く2人が 一斉に笑い出す。

「…てめーは、黙ってす…」

袈裟懸けに返り討ちにあってしまい憮然とした武藤の、思わず口をついて出てしまったそれ。しまった、と思った途端、タイミング良く鳴った予鈴にかき消される。がらりと引き戸を開けて現れた担任の姿に、其々が其々の席に散っていった。

「おー、皆、焼けたなあ。」

言いながら教壇に立った教師に、武藤は心の中でそっと手を合わせる。ありがとう、先生。とんでもねえ事、口走ってしまうところでした。
安堵と同時に、屈託無く笑い転げる横顔の笑窪が、遣る瀬無く何度も目の前を通り過ぎた。



「…で、武藤。」

夏休み中の注意事項、既に起こってしまった取るに足らない小さな不祥事、インハイの結果報告に課題の提出。
淡々と進むホームルームの最中に、思い出した、といった態で視線を前方にやったまま、背を少し武藤のほうへそらしつつ、牧が小さな声をかけた。
何事かと、自然、前かがみに若干チームメートに身を寄せ見上げれば、黒目がちな瞳が流れるようにゆっくりとやってくる。
今度は、その必要以上に大人びた風貌に、まさに相応しい表情で牧は武藤に小声で何やら呟いた。

耳に届いたそれに、途端にカッと血が上る。
条件反射的に足を伸ばして、牧の座った椅子の裏を蹴り上げると、がん、というその鈍い音に、煌くベリーショートがしなやかに振り向いた。
それを視界の端に捕らえながら、武藤は前席に座ったチームメートの肩が小刻みに震えるのを長い間見つめていた。

この夏はまだ、当分続く。
これじゃ、本気で頭が痩せちまうと、武藤はそう途方に暮れた。






(黙って座ってりゃ、何なんだ?)
(…うるせーよ、ジイ。)



------------------------------------------
*Postscript
共学ですからね。女子との会話もあると思う。
でも、牧とか武藤の周りって、"女の子"然とした女子より、わいわいぎゃーぎゃーの(下心のない)体育会女子が集まりそう。
で、「おめーが男なら親友だぜ」的な微妙な空気ができてればいいと思うんだ。そしてそれが或る日…、という願望です(苦笑)。
牧は、人の事には敏感。武藤の愛情表現は非常にわかりやすく屈折。そんな感じで。