感謝のカタチ



人は自分よりも大きな・・・、そう、物理的に大きな存在に対しては、自然と恐怖を感じるものである。
この場合、身の丈190cmを越す己の大きさは、2人組の男をたじろがせるのに十分だった。
ナンパする目的、というより、気の弱い人間をからかうのが目的だったようだ。面白半分に、他人を恐怖に陥れる輩が多いのには困ったことだと思う。
しかし、今困っているのはそんなことではない。真っ青な顔をして固まってしまったこの女子生徒をどうするか、なのだ。

「えっと・・・確か同じクラスの・・・。」

名前、なんだったかな。顔を見たことはあるような気がするんだが・・・参ったな。思い出せない。
そう内心途方にくれていると、プラットホームに備え付けのベンチに座り込んでいたその女子生徒が少し笑っていった。

「木下さや。1年の時も、同じクラスだったね。高砂君。」
「・・・そう、木下さん。」
「いいよ、気、使わないで。バスケ部の人って、あんまり人の名前覚えないって噂、聞いてるから。」

どんな噂だ。
一瞬、そう思ったものの、噂の出所に心当たりが無いではない。高砂の所属するバスケ部同期のキャプテンは名実ともに有名人だ。プレーヤーとしては言うまでもないが、とにかく人の名前を覚えない。あの男の頭の中では、人名は姿形ではなく、バスケのプレーと共に記憶されるものらしい。よって、バスケットをしない女子生徒の名前など、よっぽど印象的なこと・・・例えば自転車で突っ込んでくるとか、何か抜きん出た才能をもって表彰されるとかでもない限り、覚えようという意思すらない。
つい先日も、ミス海南と評される美人の告白を、「・・・悪い、君だれだっけ?」の一言で返り討ちにしたばかりだ。その話を聞いた時は、流石の高砂も驚愕して、本当に知らないのかと聞いた。聞かれた方は、全く心当たりが無いといった様子で、神妙に頷いた。ちなみにこの2人は、二年の時は同じクラスで机を並べていたらしい。それも、武藤に言われるまで本人は気付いていなかった。

能力や才能を優先する現実主義者。見た目より内面を尊重する実質主義。そう言えば聞こえはいいのだろうが、やはり世間一般では、100歩譲っても不思議な人、悪く言えばバスケ馬鹿、と目されることになるのだろう。

あの男のようなケースは稀有としても、バスケ部員がクラスメイトの名前を思い出すのに難儀するのには訳がある。IHやら選抜やらで、とにかくレギュラーメンバーは学校行事に参加することが少ない。だから、級友との交流も極端に少ない。加えて高砂はこの身長だ。席順はいつだって窓際か廊下側の一番後ろ。隣の席には誰も居らずの事が多い。よって、授業中はクラスメイトの背中ばかりを見ることになる。
それでも、一、二度話せばそれなりに名前と顔は覚える。偶々、この木下とは接点が無かっただけだ。いや、そうだと思いたい。

「もう平気か?」
「うん、ありがと。よかった〜、高砂君が声かけてくれて。」

気の効いたことなんかはとても言えそうもないので、電車に乗り込みつつ単刀直入に声をかけると、木下はほっとしたように答えた。

「電車待ってたら、あの2人に声かけられて。無視してたらなんか絡んできて・・・正直怖かった。」

再度、よかったと呟くように小さく言う。よっぽど緊張していたのだろう。そりゃそうだわな、とぼんやり考えていると、俯きがちだった木下が高砂を見上げて聞いた。

「ところで、サイオンジさん、って何?」

あの時、プラットホームに上がってきた所で、2人連れの男に囲まれるようにして困窮している木下を見た高砂は、こう声を掛けたのだ。

『今、帰り?サイオンジさん。』

名前がわからなかったので、とっさに出たのがサイオンジだった。
ただあの時は、声をかけてやらなきゃと思うのが先で、思ったらもう口から言葉が出ていた。だから、何故サイオンジさんだったのか、自分でもわからない。タナカでも、クドウでも、引いて言うならチームメイトの苗字でも良かったはずだ。使い慣れている苗字。例えば、キヨタ、例えばムトウ。ジンとマキは避けるかな。あまり聞く苗字じゃないから。

「何かな・・・。自分でもちょっと・・・。」

答えに困ってこり、と頭を掻くと、自分を見上げていた瞳が一瞬丸くなり、そしてはじけるように笑った。

「高砂君って、面白いヤツだねー!」

からからと屈託無く笑うその様は、いつもクラスで目にする女子そのものだ。
まあ、自分のような愛想の無い大男が困って小さくなるのはそれなりに面白い光景なのかもしれない。隣に居る人間が恐怖に震えているより、笑顔であるほうがよっぽどいいに決まっている。
まあ、よかった。いいことをした。他愛の無い会話を交わしながらそう思って、高砂は電車を降りた。




残りのその週、高砂は学校を欠席した。IHの予選に出るためだ。そしてもちろん、神奈川No1のチームとして、IH出場を決めた。 練習三昧だった週末を過ごし、月曜日、若干重い身体をごまかしながら出席した高砂の机の中に、クリアファイルが入っていた。 現国、英語U、物理、代数幾何、化学に世界史・・・欠席日数分の、ノートのコピー。

『ありがと。応援してるぞ!サイオンジさんより』

味気ないほど事務的な黄色のポストイットには、そう書かれていた。
そのクラスメイトは、卒業以降もサイオンジさん、と呼ばれた。自分で、今日から自分の渾名はサイオンジさんだと言い切ったそうだ。その話をチームメイト(おそらく武藤か宮だ)から聞き及んだキャプテンは、何故だかそれが笑いのツボに嵌ったらしく、その女子生徒を見かけるたびに、ああサイオンジさんだ、と言った。彼が、全く接点の無い他人の名を覚えていることは奇跡に近い。部内でサイオンジさんはちょっとした有名人となった。

なぜ彼女がそんなことをしたのか、その理由を知っている人間は極少数だった。が、本人はその渾名をとても大切にしていたらしいと、高砂は後日人づてに聞くことになる。卒業して、数年が経っていた。



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*Postscript
高砂は、気は優しくて力持ち。天使の心を持ったフランケンシュタイン(笑)。
女子生徒のアイドルにはなれなくても、心の暖かい素朴な女の子にじんわり愛されそう。