走れ!



入道雲が今日も平和に空高くそびえる初夏。爽やかな朝の、清く正しい高校生活が今日も始まる。

海南大学付属高校校舎・三階:2-B

「おー、神。来たぞ、何時もの。」

バスケ部とバレー部の連中が占める教室の最後尾。その窓際に座る、バレー部が誇るリベロ・篠原が、面白そうに神を振り返る。
神は、眉一つ動かさない。あ、そう、とつまらなそうに言って、広げたノートに一現目の数学の証明問題の回答を書き込んでいる。特に焦った様子も心配している様子も無い。そして付け加えるならば、今、神が向き合っているのは、傍目にも必要な予習でもない。開いた教科書のページは、現在の授業で使っているページの10項ほど先だ。

「後、何分?」

見遣りもせずにポツリと問うた神に、その男は窓枠に片手を置いて、校庭を眺め下ろしながら笑った。

「2分30秒、ってとこ?」
「ふーん。」
「で、お前の予想は?」
「厳しいんじゃないかなあ、どうでもいいけど。」

バスケの連中はドライだなあ、と呆れ顔で男は言った。


その頃、海南大学付属高校校舎・四階:3-A

窓際最後尾、その準最後尾のでかい2人が、日常生活においては唯々無駄にでかい図体を窓にもたれさせつつ椅子に座っている。一番後ろの男は、やぶ睨みに天井の染みを数えつつ。もう一人は、所在無げに、開け放った窓の桟に頭を預けて、眩しげに空を眺めつつ。決して染めているわけではないという栗色の髪が、さらりと下方へ流れ、左目の下に小さくある黒子が露になった。

「・・・なあ、牧。」
「どうした。」
「今日、何処行く?」
「何処って、聞くな。選択枝が少ないんだから此処は。」
「つくづく辺境だなぁ・・・。」
「地の果てのように言うな。学校案内によると・・・教育に適した環境、ということらしいぞウチは。」
「汚ねえ・・・物は言い様だな。」
「武藤。大人は嘘吐きなんだぞ。」
「・・・その面で"大人は"なんて言うなよ。」
「俺は、これでもお前と同じ17歳の青少年だ。」
「てめーの面は、どっちかって言わなくても"性"年なんだよ。」
「・・・俺の無垢な心はかなり傷ついた。」
「無垢って面かよ・・・。」

かなり失礼極まりないことを言われているはずなのに、好きでこの面に生まれたわけじゃないんだけどなぁ、などと怒るでもなくおっとりとぼやく牧に、武藤が言う。

「上海か、出雲。」

片方が選択肢を提出し、もう片方が決定の方法を決める。これが、何時ものルールだ。ええと、と一瞬考えて牧が答えた。

「じゃ、in なら上海。outなら出雲。」
「了解。」

どちらとも無く手を挙げ、互いの拳をこつんと合わせる。これが、合意のサインだ。
男同士は、今日も滞りなく解り合ったのだった。

「あ・・・飛行機雲。」
「お?どこどこ?」

脈絡の無い会話は、予鈴が鳴るまで果てしなく続く。

「あと、何分だ?」
「二分弱、ってとこ?」
「今日は、出雲だな・・・。」
「おいおいキャプテン、弱気だな。後輩の脚力、信じろよ。」

そこで二人は、示し合わせたように肩越しに校庭を振り返った。


そして同じ頃、海南大学付属高校校舎二階:1-D

「来たぞ来たぞ〜。」
「・・・はえーな、アイツ。」
「バスケ部で、そーとー鍛えてるからな、奴は。」
「今からやれば、短距離でIHにだっていけるんじゃないか?」
「陸上なめんな。でも、バスケでスタメンとったんだろ?アイツ?」
「そうらしいけどな。そろそろ、先輩から愛想つかされるんじゃねーか?」
「まあ、いくらなんでもなあ。」

窓辺に屯している男子生徒の一団が、口々に校庭を駆け抜ける男の事を噂する。
たった今、寝床から起き上がりました、というような髪で、疾風のように校舎へ駆けてくるその男は、入学式からその破天荒な言動で学年を飛び越えた知名度を持っている。

「清田ぁー!」
「あと1分だぞー!」
「せんせー来ちゃうぞ!」

突然頭上から掛けられた声を、ソイツは応援と思ったらしい。見上げてかかか、と笑ってみせた。

「よゆーだ、よゆー!、俺は天才だからなぁ!」

おまけに手まで振って見せる。予鈴が鳴るまであと少し。これには声を掛けてからかったクラスメイトの方が慌てた。

「ちょ、馬っ鹿、止まるな止まるな!」
「走れ走れ!!」

その一階上の教室で、神は溜息と共に静かにノートを閉じる。
そのもう一つ上の階で、牧と武藤は、少し笑って頷きあう。

鳴り響く始業ベル。
がらりと扉が開いて、それぞれの教師がそれぞれの教室へ入っていく。日直の号令、椅子が後ろに押しやられ、そして一拍空いて、また同じ音。窓際のカーテンが、爽やかに揺れる初夏のある日。
1000人を優に超す生徒の、そのうちの一人は、今日も肩で息をしながら何事も無かったように席に腰を下ろす。


本日は、晴れ。いい一日になりそうだ。

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*Postscript
そして、牧と武藤は、部活後に上海亭に行く。宮や高砂を誘って。海南大は小高い丘のような所にある感じで捏造。よって、周りに飯屋は少ない。ちなみに、out=遅刻の場合の出雲なら、お蕎麦でした。
清田は寝起きがものすごく悪そう。でも、ぎりセーフで遅刻はしない。低空でも墜落しない飛行機のような感じ。そして、そんな彼をクラスメイトの男子は応援してる。彼は、同姓に人気のある生徒のような気がする。ムードメーカー。