Kindly
「俺の目を見ろ。」
不機嫌極まりない武藤の低い声が、牧の鼓膜を振動させる。
四時限目の数学が終わって、クラスメイトが学食やら購買やらへと駆けていく中、それは起こった。
後ろの席から立ち上がった武藤が、牧の前の席に移動する。そして、椅子の背凭れに腹を預けるようにして座った武藤は、少し俯きがちに
座ってゆっくりと教科書に書き込みをしている牧を、下から見上げるようにして目線を合わせた。
「何だ?」
「俺をごまかせると思うなよ、コラ。」
「だから、何だよ。」
「俺の目を見て言ってみろ、ってんだよ!」
「怒鳴るなよ武藤。聞こえてるし、みっともない。」
ふう、と溜息を付いて牧が小さく言った。
何、武藤と牧、喧嘩ー?、なんていうのどかなクラスメイトの声に、武藤が少し眉間を寄せ舌打ちする。
そして、言った。
「じゃ、立てよ。」
「今はいい。」
「昼飯、食うだろ?」
「いらない。」
「いらない、ってなお前。ガキじゃねーんだからさ…。」
「そんな気分じゃない。」
そんな気分、ってお前な…。
目の前に写るチームメートの、いつもより少しかすれた声。
元々、目鼻立ちがくっきりとした男だが、今日は白目の少ない目がやけに煌いていて、女ならまあときめいたりするもんなんだろうが、
男の立場から言わせてもらえば正直言って気味が悪いの一言だ。
さあ、今回はどうしたもんかな。
そう考えていると、ぬ、と大きな影が差す。見上げると其処には、もう一人の"勝手知ったる"同期生が立っていた。互いに、頷きあう。
「高砂。」
「おう。」
「頼むわ。」
そして、今回も結論は"実力行使"に落ち着いた。
大丈夫だとか、何勘違いしてるんだとか言う牧を高砂・武藤の二人ががりで保健室へ引きずっていく様は、言うまでも無く学校中の生徒の目を引いた。が、直接何かを問うてくる生徒はいない。皆、遠巻きに眺めるだけだ。何時もは込み合っている昼休みの廊下は、モーゼの十戒よろしく波のように人垣が引いて、3人へ道を開ける。程なくして、武藤と高砂は、牧を保険医の下に引き出した。
検温の結果は、38度9分。『しんどくないか、牧?』と問う初老の保険医に『しんどくはありませんが、…地球が周ってる感じです。』と答えた牧を、武藤はつくづく呆れて眺めた。
約3年間チームメートとして、そして何の因果か毎年のクラス替えにもかかわらず約3年間同じ教室へ通ったクラスメートとして、武藤は牧については恐らく他のどの生徒よりも知っている。
"帝王"だとか、"ダンプカー"とか、厳つい渾名に事欠かない男だが、大きな試合の後…それも直後ではなく、そろそろその試合やトーナメントの余韻も冷めたといった頃…に、決まって体調を崩すのだ。そして、悪いことに本人はこと自分の事に関しては無関心ときている。
要は、体調の悪化に対して自覚が無い。
(顔に出ねえんだよなー。)
いや、出てるのかもしれないのだが、第二の趣味を持っているこの男の肌は特徴的に浅黒く、
多少赤くなろうが青くなろうが、その変化を伺うことはきっと無理だろう。
コイツのことだ。バスケも、勉強も、もう俺の一部だと言って憚らないサーフィンも、馬鹿がつくほど前向きに、"一所懸命"やっているのだろう。
だが、一日は24時間しかない。溜まった無理が発する信号が、この発熱に違いない。正直、そろそろかと思っていたくらいだ。
ベットの上に腰掛けていた牧がゆっくりと横に倒れ、そのままぼす、と顔をシーツに埋めた。足元には、保健室へ連行中にすれ違った宮益が、
黙って頷いて用意してきた牧の鞄と部活用のドラムバックが置いてある。開け放した窓から入る風が、真っ白なカーテンを揺らすのを視界に入れながら、
武藤は患者用の円形の椅子に座って、無造作にくるくると回転した。高熱のまま電車に乗せるわけにはいかんだろ、と保険医が呼んだタクシーが来るにはもう少し時間が
かかるだろう。それが来るまでつきあうかな、と考えている武藤に、牧がシーツに顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。
「…鍛え方が足らないのかなぁ、俺。」
「それ以上鍛えて、お前何になるつもりだよ。」
流感に感染するなんて、努力やましてや根性で避けれるものではない。
それでも、自分が至らぬ所為だと思ってしまうその生真面目さに、武藤が笑ってそう言うと、目を閉じたまま牧が、そうだよな、
俺だって偶には風邪引いたりしてもいいんだよな、なんて小さな声で呟いたので、何故だか心の何処かがきり、と痛んだ。
その後、暫くしてタクシーが来た。それまで、二人は黙って待っていた。時々、武藤が座る椅子が、回転に合わせてきいきいと鳴った。
運転手に行き先を告げ、抱えてきたバックと共に牧をタクシーへと押し込む。じゃな、と声をかけてドアを閉じようとした武藤を、牧が引き止めた。
「武藤。」
「あ?」
「…サンキュ、な。」
「気持ち悪いこと言ってねーで、早く帰って寝ちまえ、ボケ。」
溜息混じりに返した言葉に、うん、と頷いた牧は、どこか子供じみていて武藤は小さく笑った。
思ったとおり、熱はなかなか下がらないらしい。
週末に予定されていた、練習試合は主将無しで望むことになった。監督は、来年を見越して2年中心の布陣を試すいい機会にすればいいと
の方針だし、例え類まれなるプレーヤーであっても、その人物が不在になったからといってチーム自体が崩壊するわけではない。バスケットはチームで行うスポーツだし、
他のメンバーも牧無しでも十分他チームと渡り合えるとの自負もある。
が、やはり、それでは納得しない人物もいるわけで。悪いことに、今回の練習試合はその厄介な人物の率いるチームとなのだ。
「折角わざわざこんな辺鄙なところまで足運んでやったっていうのに、牧はどーしたんだよ!!」
主将で監督というそのプレーヤーは、中性的に整った顔からは想像もつかない罵声を上げたりする、精神的にはなかなかにマッチョな漢なのだ。
予想通りのキレっぷりに、武藤はうんざりして、半ば投げやりに呟いた。
「地球の自転を体感中だ。」
「はぁっ???」
「だから、今日は来ねーの、牧は!解かるかな、藤真クン!」
ぎゃいぎゃいと喚きあう武藤と藤真をよそに、高砂が花形に、「牧は風邪でな。悪い。」と伝えると、黙って肯いたポーカーフェイスは引き摺るようにして藤真をベンチへ連行した。
その日の練習試合は、いろんな意味で少し荒れた。
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*Postscript
夏風邪は馬鹿しかひかない→俺は馬鹿ではないはず→だから、これは風邪じゃない、とか。牧は非論理的なことを無理やり信じて、最後までがんばろうとするタイプ。ちなみに体温は測らない。測って体温が解かった途端に倒れちゃうから。
武藤は、その辺りをしっかり解かって、嫌だ嫌だ、俺はお前の彼女でもオカンでもねー!と思いながら突き離せず、世話を焼いてしまえばいいと思う。
藤真様は自分が不参加はOKでも、他人が不参加だと怒り狂うタイプだな。花形、がんばれ(←ここに萌:違)。