胸が張り裂けるほどの、この想いを



胸が裂ける想いだなんて、眩暈がするほど非現実的。そんな想いをするのは御免だ。第一、身が持たない。そんな恋、しない方がいい。絶対に。



湘北高校バスケ部の名物男・桜木花道はリハビリから復帰して以来、以前に増してバスケにのめり込む様になった。盟友であり親友である水戸洋平は、毎日桜木のバスケ談を聞き、彼のちょっとできるからって偉そうないけ好かないライバル・・・少なくとも、彼にとってはそうなのだ・・・への不満を聞き、最近マネージャーになった意中の人への熱い想いを聞き、と、自分がやっているわけでもないのにバスケ漬けの生活を送っている。それでも、放課後は貴重な時間を都合し、バイトの合間を割いてまで体育館に訪れ、練習を見るのが日課となっていた。野間や高宮に、死ぬほどお人好し、なんて言われている。

(まあ、オレほどの物好きは居ないわな・・・。)

お人好しかは、別として。そんなことを考えながら体育館へ向かっていると、見慣れた後姿を靴箱の陰に見つけた。
鉄製の、何の変哲も無い古臭い下駄箱。彼女は、下駄箱の扉を開けたまま、靴を出すでもなくぼんやりとしていた。

「藤井さん。」

声を掛けると、弾かれたように小さな彼女は振り返った。

「あ、水戸君。今、帰り?」
「ああ、ちょっと体育館に顔だすつもり。藤井さんは?」
「私は・・・もう帰ろうかなって。」

慌てて靴に手を伸ばすその仕草が、妙に白々しくて、洋平は苦笑した。
行動、特に日常繰り返す何気ない行動というのは、なかなか嘘がつけないものだ。身体はもしかしたら、頭ではなく心の方に属しているのかもしれない。そんなことを思った。

「最近、顔ださないね。」

折角花道も復帰したのに。
そう言ったとたん、藤井の表情が微妙に揺れた。
ああ、やっぱりね・・・。解ってけしかけた言葉だが、ここまで素直に顔にだされると、こちらの方が罪悪感を憶えるから不思議だ。
ゆっくりと靴を下ろし、上履きを靴箱へ収めながら、藤井は明るく言った。

「桜木君、がんばってるんだってね。晴子から聞いてる。」
「空回ってばっかりみたいだけどね。」
「努力家だよね、桜木君。尊敬しちゃう。」
「本人に言ってやってよ。あいつの事だから、有頂天になってゴール登っちゃったりするかもよ?」

一瞬の沈黙の後、藤井はちらりと洋平を見て、そして、慌てて目をそらして小さく笑う。

「私なんかが言っても、ね。」

断ち切るようなその言葉。でも、それはもしかして、という期待に満ち満ちていて、そして同時にそれが裏切られる結末の不安に慄いている。

「晴子に励ましてもらってるから、それでいいんだよ。それが一番・・・」
「藤井さん。」

洋平は、藤井の言葉を柔らかく遮った。

「アイツ、すげー単純なの。単純王。でも、馬鹿じゃないから。」

洋平を見た藤井の瞳が少しだけ大きくなった。

「藤井さんのがんばれって声、アイツはちゃんとそのまま受け止めるよ。裏も表も無く、さ。何せ単純だから。」
「・・・うん。」
「難しく考えないで、さ。」
「うん。」
「がんばれ、って気持ち?大事にしてやんないと。ね。」

最後の言葉に、返事は無かった。
がくん、と音がしそうなほど大きく頷いた彼女は、そろりと靴を履き、そのまま校庭へと去っていった。




彼女は彼を見ていて、その彼は違う彼女を見ていて、そしてその彼女は別の男を見ている。そしてそいつは、誰も見ちゃいない。だから、このスパイラルは厄介だ。
そして自分は、そんなアイツ等をちょっと羨ましく眺めている。胡坐をかいたベットの上から、安っぽいアパートの歪んだ窓枠ごしの青い空が見えた
所在無くそうしていると徐に、背中から抱きしめられる。長い爪を流行の色で飾った生っちろい細い腕が、洋平の身体を抱き、咥えた煙草を取り上げた。
なすがままになっていると、ふう、と吐き出した煙とともに、耳元で少し枯れた声がする。

「よーへい。」
「何。」
「何考えてる?」
「・・・なーんも。」

すると女はくすくす笑う。そして、空に向かって再度ふわりと紫煙が舞った。髪が項に触れて、少しこそばゆい。

「・・・嘘ね。」

その確信的な言葉に、洋平も笑って女の横顔をちらりと見た。

「アタリ。聞きたい?」
「聞きたくないわよ。あんたの考えてることなんて、興味ない。」
「・・・冷たい女って、オレ大好き。」

ねえ、だから、もう一回抱かせて。
そう言われた女は、鼻で軽く笑って優しく洋平を突き放した。そして、立ち上がって投げ置いたハンドバックに手を伸ばす。
そして静かに呟いた。

「アタシはあんたと同じ位、アタシが大嫌いよ。」

正直者の女は、吸い口に奇抜な赤を落とした煙草を洋平の唇に戻して、黙って部屋を出て行った。洋平も、振り返らなかった。




残されたのは、吸いかけの煙草。きつい香水の匂い。それから、青い空と白い雲。
親友は今頃バスケをやってる。おそらく鬼マネージャーに既にハリセンを何発か食らっているはずだ。そう思いながら、見上げた空にぼんやりと、小さな彼女の震える制服の肩を描いた。

「俺も、胸が裂けるような、ってヤツ、欲しいねぇ・・・。」

『そんな恋、しない方がいい。絶対に。』
ふと我に返った。
手遅れだった。
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*Postscript
藤井→花道→ハルコ→流川。これぞ、王道高校生のドラマ。
洋平は、ちょっと離れた所でその本人達が気付かない報われなさと喜悲劇の意味を独りで噛み締めたりしてる。優しくて強くて、損な男。・・・大好きです。