遠く離れる足音を聞きながら
その人を見かけたのは、偶然の事でした。
東向きの私の部屋は、7月になると早朝からイヤになるほど明るく、私は、初夏のすがすがしい光の下、また眠れなかった夜を苛々しながらやり過ごしてしまったことに疲れて、散歩に出たのです。
そっと扉を開けて出た通りには誰も居ませんでした。時々、新聞配達のカブがOnとOffの強弱をつけて空気を揺らすだけです。鬱屈とした持って行きようのない私の心模様とは裏腹に、空はこれでもかと言うほど健康的で、私には眩しく悲しく青いのでした。
この街が好きか、と聞かれたら私の答えはきっとNOでした。特に思い入れもないし、大学受験をして早くこの土地から出たいと思っていました。
湘南と呼ばれる故郷は、良くも悪くも海と係わり合いの深い土地です。憧れの地と誉めそやす人もいるようですが、私にはひたすら面倒くさい場所でした。日が昇れば海岸に溢れる人、人、人。恋を謳歌し、夏の日差しを楽しむ同年代の、私には異星人のような理解不能な人々。自分の美しさや強さを必要以上に誇張して主張する滑稽なその生き物に、私はどうしても馴染めません。だからこの地に生まれ、この地に育ったのに、高校に上がって以来私は海へ行きたいと思ったことはありませんでした。同級生からの偶の誘いも、日に焼けちゃうから、なんて心底どうでもいい理由で断っていました。それでも、その日私の足は海へ向かっていました。結局、そこにしか行く場所が無いのです。
その時、私にはとても好きな人が居て、でもその人は他の誰かをどうしようもなく好きなことを私が一番知っていて、どうにもならない袋小路でじたばたしていたように思います。戻れないし進めない。そんな世界があることを知らずに生きてきた私は、初めて途方にくれていたのだと思います。友情や、愛情や、嫉妬や、怒りや、切なさや。この世には、自分ではどうしようも無いことが山のようにあることを容赦なく突きつけられて、私は全ての物から顔を背けたい気分になっていました。そうです、私は初めて経験する愛しさと憎しみの不協和音に疲れ果てていたのです。そしてその疲労は、私に、前へ進んでいく気持ちや、弱さを受け入れる強さをじわじわ奪っていたのです。
しばらく歩いて出た海岸は、昼間の喧騒が嘘のように静かでした。ジョギングをする人や、犬の散歩をする人がちらほら見えるだけの、穏やかな朝でした。私は人気の無い砂浜に腰を下ろして空の青を柔らかく反射している海を見ました。膝を抱えて両腕で抱きしめ目を閉じると、何時なら気にとめないような潮の音がじんわりと私の耳に届き、それは私の心の些か奥の辺りを優しく撫でたのでした。
どのくらいそうしていたでしょうか。つと目をやった波間の一つに、人の影が見えました。ひとつ、ふたつ、みっつ。目を転じれば、微妙な距離を保ちつつ、視界の何処かにそれはありました。沢山と言うには少なく、少しと言うには多いくらいの人の影が、波の其処此処に見えました。
盛り上がるようにやってくる波にあわせて、影の一つが滑り出し、立ち上がる。そんな風景が、穏やかな海のアクセントのように見えました。サーフィンは朝が勝負だ、と東京に行ってしまった兄の言葉を思い出していました。
あてどなく見つめたその波間に、日に焼けた彼を見つけた時は、正直少しだけ驚きました。
私のように学校内のゴシップに疎い人間でも、彼のことは知っていました。バスケットボールが上手で全国から期待されているという彼は、我が校を代表するスポーツマンにして多くの女子生徒の憧れの人でした。私は同じクラスにこそなったことはありませんでしたが、親しくしている友人から、時々彼の話を聞いていました。その友人に連れられて、試合を見に行ったこともありました。そして、獲物を狙う獣のような瞳で試合をしている姿からは想像も付かないほど、穏やかな声で話す人だということはちらりと記憶の隅にありました。
でも、私にとってその人は、クラスメイトでもなければ憧れの人でもなく、知人でも友人でもなく、ただバスケットボールというスポーツをしている人、それに全てを掛けているような人、といった認識の人です。その人が、違うスポーツを、それもたった独りでしているということに、私はとても驚いたのでした。
私にはサーフィンの知識がありません。でも、波に乗る彼を見ていて感じたのは、決して上手には見えなかった、と言うことです。初心者のようにも見えませんでしたが、バスケットをしている時ほどの輝きというか、周りを引き込んでひれ伏せさせるような華麗さは無かった。立ち上がった瞬間にバランスを崩して、波に飲まれる、といったことを何度も何度も繰り返して、それでも沖へと出て行く彼は、とても新鮮に映りました。
しばらくして、額にかかる髪を掻き上げながら、彫刻のような身体を照らす朝日の元に引き上げた彼が、私の座る浜を海に背を向け横切ってきました。ざくり、ざくりと浜を踏む音が徐々に近づいてくる様は、彼と私との距離をやけに生々しく物語っているようでした。私は海を捉えるようにして、そっと彼を視界に入れました。飛び込んできた彼の特徴的に色素の薄い瞳は、呆然と何も見ていないようでした。ただ、一瞬垣間見た彼の横顔は、胸が痛くなるほど静かで、同時に何かへの、やる方のない怒りに震えているようにも見えました。
そう感じた途端、私は居た堪れなさにはっとして、思わず顔を伏せました。そして、割り切れない割り算の余りをどうすればよいのか途方にくれているのは私だけではないのだと知ったのです。
あの瞬間、私も彼も同じ孤独の人でした。遠ざかるその足音を聞きながら、私はその日初めて、声を出さずに泣きました。
その後も、早朝の浜辺で何度も彼を見かけました。そして私は、その人が波と格闘する姿や、時にはただぼんやりと波間に浮かんで水平線を眺めている様を、ただ静かに視界にいれていました。彼は、学校で見る姿とは、全く異なる形をしていました。そしてそれは、私の中の行き場の無い熱を冷ますのに、少しだけ効果があったように思います。
私はその後、希望通り湘南を離れました。新しい土地で始めた新しい生活は、思った以上に平凡でしたが、期待していた以上に私には合いました。
今、湘南を好きか、と聞かれると少しだけ困ります。
ただ、朝の海は好きです。波間に浮かぶ黒い影を見るたびに、私はあの初夏の日々を思い出して、ほう、と息をつきます。
適わなかった恋の、やるせなさ。挫折と葛藤。そして、皆の憧憬を一身に背負った人の、小さな苦しみの一部を懐かしく思い出して。
あれから10年たちました。今でも、時々海を見て、私は膝を抱えます。そして、少しだけ、自分に泣くことを許してやるのです。
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*Postscript
誰かが独りでかっこ悪く努力している姿というのは時々感動的に私を励まします。同時に、その人と自分の世界を少しだけ縮める。・・・なんてね。
牧はサーフィンをしながら、自分の壁とか悔しさとかを昇華してればいいなと思ってます。自分と向き合う時間を大事にしそうな男だな、と。